石井苗子の健康術
2012年6月29日
「自分を見失っている」ということ

(今の状況を詳しく説明できることと違うのです)
普通に話しをしているつもりが、実は自分を見失ってしゃべっていると意識できることは、すごく難しいと思います。ところが冷静に状況を人に説明しているつもりでも、自分を見失っていることがあります。
これは、観察的に傾聴している専門家にしか分からないのかもしれません。その診断術を会得するにも年月がかかるでしょう。
先日、長い時間かけてご自身が置かれている状態が辛いことを話しておられた患者さんがいました。出来事のひとつひとつが非日常的で、そのせいでイライラが増したり、涙が出たりとおっしゃる。
私は「そうでしょうとも」と心の中でうなずきながら聞いておりました。ところが先生が突然「あなた、そうやって話をしている間も自分を見失っていること、気がついてますか?」と言って中断させたのには、私の方がビックリしてしまいました。
どれだけ自分が大変かを他人に説明するときも、どこに向かって何を言おうとしているのかが、ハッキリ分かっているときと、ただ状況をダラダラとしゃべっているだけの時がある。
両者の心理状態は異なるのだそうです。医療サービスを行う場合は、本人がどこまで自分を見失わずに話しているかを診断することが大切なのだそうです。
ダラダラと言えば愚痴を思い浮かべるのですが、これと見失うとの違いをどう区別して聞くのかと、後で先生に尋ねましたら、愚痴のレベルで話をしているときは、本人がある時点で自分で気がつくか、あるいは周りが「それは仕方ない」と言われれば、本人も愚痴だと納得する。
しかし自分を見失っている場合は、あくまでも聞き手に理解力が足りないから仕方ないと言われるのだと、もの凄く腹を立てることが多く、そうなると自分を見失う一歩手前にいる状態なのだそうです。
ゾッとしました。私も、冷静に物を言っているように見えるけど、実は思考停止状態だったり、柔軟性に富んだ理解力が欠如している状態で、イライラや怒りの気持ちが募っていくなんて事はないか……よくある。
もっと恐ろしい事は、それをもはや誰も注意してくれてないのでは……と。
その患者さんもビクッとされて、先生を凝視したまましばらく黙っていらっしゃいましたが、先生もしばし沈黙したあとで、「ね? 話していることはこちらもよく分かりますよ? 聞いてないわけじゃない。でもそれを何百回と聞いているだけでは身体は楽になりません。いつか自分を取り戻さない限り、薬で完治はできません」。
ここまで言えるのは、きっとお互いの信頼関係が構築されているからでしょう。主治医とはこういうものかと思いました。
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