恐山菩提寺の院代・南直哉さんインタビュー全文(3)悲しみ、逃れずに耐える
参拝者にとって、死者は確かに存在する
――恐山にはどのような人が訪れるのでしょうか。
「亡き人のためにと、大量の衣類やお菓子を抱えてくる人がいます。子どもの成長に合わせるように、毎年靴や服などを買い替える人もいます。数年に1度は、ウエディングドレスが持ち込まれることもあります」
――参拝者は何を求めているのでしょうか。
「葬式や法事など、通常の儀礼のやり方は形が決まっています。しかし、死者への後悔の念、恐れ、やるせなさなど、残された人が抱く感情は様々であり、全てをすくい上げることはできません。こぼれ落ちてしまう死者への思いを伝えようと、足を運ぶ場所が恐山ではないでしょうか」
「石板に戒名や名前を彫って簡単なお墓のようなものを作る参拝者もいます。『声が聞きたい』『また会いにくるからね』などと記されているのを目にすると、切なさや懐かしさのような、単なる感情の問題ではなく、参拝者にとって、ここには死者が確かに存在している。そして、私自身も恐山に身を置いてから2年ほどたち、『死者は恐山に、確かに存在しているのだ』と実感したのです」
――東日本大震災では、多くの人たちが犠牲になりました。
「まさに膨大な数の『非業の死』です。弔いとは、人の死を自分自身に納得させることです」
「納得するには時間も必要ですが、『非業の死』ではその機会が奪われてしまう。遺体が見つからなければ、なおのこと、死者を死者として認められない切実さがあります。震災後、被災地から絶えず恐山にも参拝者が訪れています」
膨大な数の「非業の死」…無常観、全ての日本人の心に
――被災を免れた人の中でも、心の不調を訴えている人もいます。
「日本の国民全体に漠然とした不安が広がっています。この根底にあるのは、『なぜ、あの人が死んだのに、自分が生きているのか』という問いです。それは、諸行無常が意味するものでもある。今までは、それほど多くはなかったはずの『非業の死』が例外的なものではなく、明日には他の誰でもなく自分にも起こりうるという無常観が、濃淡はあるでしょうが、全ての日本人の心にしみたのではないでしょうか」
――やるせない思いに、どう向き合えば良いのでしょうか。
「真正面から見つめて耐えることです。私自身も含め、多くの人は、悲しみや切なさから早く逃れようとします。他人に助言を求めたり、安易な言葉で自分を納得させたりするのではなく、何が自分にとって大切なのか、答えは自分で見つけなければなりません」
「だからこそ、急がず待つことです。時間はかかるでしょう。10年、20年、あるいは人生の最期まで答えは出ないかもしれません。神仏への信仰というよりも、生きて持ちこたえることで必ず見えてくると、そう信じることです」(終わり)
(2012年6月2日 読売新聞)
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