ミチコさんの人“性”塾
2012年5月28日
預ける場所がない! …わたしの子育て体験記(2)

わが子の誕生で得たもう一つの収穫は、社会や政治と自分のかかわりを、身をもってつかんだことでした。
子を生んだ女が仕事を続けようとするとき、まずぶつかる壁は、誰に子どもを預けるかということです。今でこそ、保育園に子どもを預けることは格別珍しいことではなくなりましたが、1963(昭和38年)当時は保育園も少なく、まして、乳児をひきうけるなど、思いもよらないと考えられていました。
もちろん、その頃も子育て中の女教師はいましたが、ほとんどが、おばあちゃんにみてもらうとか、お手伝いさんを頼むなど、なんらかの個人的な方法で解決をしていたのでした。
わたしの母は、その頃、病気療養で入院中でしたし、夫の母はすでに亡くなっていて、「おばあちゃんの手」を借りるわけにはいかない状況にありました。いや、たとえ母が元気であったとして、母には母の暮らしが当然あるのであって、娘の都合で母親に押し付けて肩代わりさせる、いわゆる「おばあちゃんの手」を借りるという方法は、わたしには考えられませんでした。
このころのわたしの疑問というのは、いたって単純なことでした。日本国憲法には、男女同権・平等がはっきりと記されているのに、現実には、子どもを生んだ女は職場を去るしかない(父親である男は、何事もなかったように職場へ行っているのに)、これはちょっと納得できないな・・・ということなのです。
団地新聞で見た「共同保育」
こうしたわたしに、ひとつの方向性をしめしてくれたのが、ときたまわが家のポストの投げ込まれる団地新聞に掲載されていた東京都下青戸団地の共同保育でした。
わが家と同じ2DKを開放しあって、仕事を持つ母親たちが共同で保母を頼み、たすけあっているとの記事の横には、笑顔いっぱい赤ちゃんと母親が映し出されています。
「そうだ、これだ!」
しかし、夫の意見は、自分の家を開放するなどという方法は、プライバシーを見せたり、見せられたりになるわけで、それではとてもたまらない、子育ての経験をもつおばさんを探そうというものでした。しかし、わたしの心は、もうすっかり、共同保育へ向かって動きはじめていました。
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- プロフィール
- 高柳美知子(たかやなぎ・みちこ)
- 1931(昭和6)年、東京生まれ。中学・高校の国語教師などを経て、現在は“人間と性”教育研究所所長。
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