孤独な母 優しく出来ず
一緒に過ごせた時間が慰め
女優の白石加代子さんは、母親のフサさんを昨年7月に93歳で亡くしました。認知症だった母に優しく接することができなかった時期もあり、「孤独にした」と悔いが残っています。
人工呼吸器をつけて入院してからは、家族交代で見舞い、一緒の時間を持てたことが慰めになったといいます。
母はチャーミングで、大声でハハハハと笑う楽しい人。苦労をしてきたので愚痴もこぼしましたが、元々の性格が陽気で、いつも周りに人が集まっていました。
逓信省の技師だった父が戦後まもなく肺結核で亡くなった時、私は5歳。4歳下の妹と、母のおなかに弟がいました。闇米の行商で警察に捕まったこともあったほど、母はいろいろな仕事をして私たちを育ててくれた。私が高校を卒業して区役所に勤めたころには、東京・三田で小料理店を開いていました。
70歳になった時に、店を弟に任せて「楽をしたら」と勧めたのは、今までの苦労を知るだけに、老後にまであくせく仕事をさせたくなかったから。でも、母は寂しかったかもしれないわね。店の近くの慶応大学の学生たちからも「おかあちゃん」と慕われていましたし。自分が同じ年になった今、引退はかわいそうだったかなと思います。
遅れた気づき
フサさんの異変に最初に気づいたのは、同居していた弟の息子だった。白石さんは国内外の舞台公演に飛び回り、病気に気づくのが遅れたという。
おいが「おばあちゃん、どこか変だよ」と言うんです。でも、たまにしか会わない私には、母が変わったようには見えなかった。「ダメよ加代子、体を大事にしなきゃ」なんて理にかなった小言をいい、目線もしっかりしていたからです。
母が77歳ぐらいの時でしょうか。母が伊豆に建てた家に久しぶりに一緒に出かけました。台所で私がオクラを刻んでいたら「これなあに」と聞くのです。「何バカなこと言ってるの、年中食べるオクラじゃないの」と言ったら、けろっとして「知らない」。初めて母が病気だという現実がどっと私に伝わってきた。ひざががくっとなるくらいの衝撃でした。
認知症だとわかった後で、妹が「(母を)孤独にしたと思う」って言ったことがあります。私は仕事、妹や弟はそれぞれ2人の子どもを抱えて生活をするのに必死だった。不安を抱えた母が「眠れないの」と私に電話をかけてきても、「忙しいの、後にして」って感じでしょ。
母の孤独を思うと、むなしい願望ですが、もう一回人生があればと思うのです。病気のことを少しはわかった今なら優しくできたかもしれない。
忙しい白石さんに代わって、建築家をしていた妹と弟の家族が交代で介護を担った。フサさんの言動が病気のせいだと知ってはいても、家族が傷付いたこともあった。
やれ財布がない、お金を盗まれたと、母の中に「嵐」が起こったのです。同居していた弟の嫁や、身近にいた妹を苦しめましたが、私は仕事に追われて妹の愚痴を聞くぐらいしかできなかった。症状が進むと、嵐は収まったのですが、足が弱って車いすが必要になりました。月曜から金曜までは弟一家が自宅で母をみて、土日は妹夫婦が母を迎えにきて介護する。そうして母を丁寧に支えてくれました。
人工呼吸器
フサさんは、ショートステイを利用した時に
誤嚥 性肺炎になり、病院に運ばれる。気管を切開して、人工呼吸器をつけるかどうかで家族の意見が分かれた。
放っておけば危ないと言われた時、弟は「穴を開けさせたくない」と言いました。でも、妹は「このまま逝かれては嫌だ」と泣きじゃくって……。介護を任せっきりにしていた私にものを言う資格はないと思っていたけれど、妹の言う通りにしてあげたいと思ったのね。人工呼吸器と胃ろうを付けて、母は病院で4年近く生きました。
家族が交代で病院に通い、枕元に置いた連絡簿で近況や母の様子を伝え合いました。だんだん弱っていって、最後は目も開けなくなったけれど、おばあちゃん子だった妹の娘が体をさすって「おばあちゃーん」って耳元で呼ぶと、母はかすかに笑ったり、うなずいたりしているように見えました。
太陽のように家族の中心にいた人ですから、誰が来たとはわからなくても、かわりばんこにみんなが来てくれて幸せだったと思うのね。自己満足かもしれないけれど、私たちは勝手に母との交流があったと思っているんです。(聞き手・大森亜紀)
しらいし・かよこ 女優。1941年、東京都生まれ。67年、東京・港区役所を退職。劇団早稲田小劇場(現・SCOT)に入団し、「劇的なるものをめぐって~2」などに主演。89年退団。その後も数々の舞台や映画に出演、今年、旭日小綬章受章。26、27日には、東京・岩波ホールで「百物語シリーズ 第三十夜 新宿
◎取材を終えて フサさんが亡くなった後の舞台で、白石さんは自殺しようとする娘を引き留める母親役を演じた。劇中に「おまえがそんなに孤独だったなんて知らなかった」というセリフがあったという。「重い言葉で、胸に響きました」と白石さん。
元気だった母が変わっていく姿を見るのがつらくて、つい邪険な言葉を言ってしまうのだろう。近くにいる身内だからこそ、気づけない孤独があると思わされた。
(2012年5月13日 読売新聞)
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