石井苗子の健康術
2012年5月11日
モノフォービアとノモフォービア

(ある特定なことだけが恐怖になってしかたないのがモノの方です)
「Monophobia モノフォービア」。ひとつの事に強烈な恐怖を感じて、日常生活に支障をきたすまでの症状のことです。
震災後は、津波か地震、あるいはその二つがセットのモノフォービアが増えました。
恐怖が強くて外に出られない、食事も出来ない、寝るのも恐い、引っ越しを繰り返す、仕事を辞めてしまうなどとなって、日常生活に支障が出てくる場合は、カウンセリングや薬の投与が必要でした。
「Nomophobia ノモフォービア」のNomoは、No mobile ノーモバイル。携帯やスマートフォンをもってないことへの恐怖です。
わざわざ造語にしたのは、これが現代人にみる独特の現象で、解決も難しいからです。
携帯を忘れたり、無くしたりすると不安で1日も過ごせない。中には、入院しても携帯を枕元から離さない。手術中も携帯を傍らに置きたいと言った方もいらっしゃいました。
朝起きてから携帯のメールを見つめ、1日中、他には何もせずに引きこもって過ごすという問題も発生しています。
携帯が「生き物」のようになって人間の行動を支配しているような状態です。
携帯やスマホをいくつも持って、ますます行動が縛られていく人もいます。固定電話のように数台置いて一緒に鳴らすというわけにもいきません。自分が常に携帯と一緒でなければ安心しないからです。
解決方法は、携帯なしでも生活ができる能力を養っていくこと。なかなか難しいことです。世の中はますます便利なものを利用して生きて行く傾向にあるからです。
余談ですが、私の家族は携帯を持っていても出ない、家に忘れても全く意に介さない。これはこれで問題ですが、こちらは、電話をかけた側にストレスが溜るだけですから、まだましかもしれません。
※コメントは承認制で、リアルタイムでは掲載されません。
編集方針はこちら。
<編集方針>
投稿いただいたコメントは、編集スタッフが拝読したうえで掲載させていただきます。リアルタイムでは掲載されません。 掲載したコメントは読売新聞紙面をはじめ、読売新聞社が発行及び、許諾した印刷物、ヨミウリ・オンライン(YOL)、携帯電話サービスなどに複製・転載する場合があります。
コメントのタイトル・本文は編集スタッフの判断で修正したり、全部、または一部を非掲載とさせていただく場合もあります。
次のようなコメントは非掲載、または削除とさせていただきます。
- 当ブログとの関係が認められない場合
- 特定の個人、組織を誹謗中傷し、名誉を傷つける内容を含む場合
- 第三者の著作権などを侵害する内容を含む場合
- 企業や商品の宣伝、販売促進を主な目的とする場合
- 選挙運動またはこれらに類似する内容を含む場合
- 特定の団体を宣伝することを主な目的とする場合
- 事実に反した情報を公開している場合
- 公序良俗、法令に反した内容の情報を含む場合
- メールアドレス、他のサイトへリンクがある場合
- その他、編集スタッフが不適切と判断した場合
以上、あらかじめ、ご了承ください。

コメント
人間が生み出したものが人間を支配するSF映画が以前ありました。物語は省きますが、
人は何かに依存しないと生きて(は)いけない、それが携帯・スマホであれば機械に洗脳され、人間の特質であるべき知恵が結果的に人間を蝕んでいる、という事になります。これから先、もっと多機能の高度な製品ができ、突飛な発想なれど、ありとあらゆるものが一つの塊「”かたまり”」で補う(補われる)時代になるかもしれない。
人と人とのふれあいが難しい世の中のように思えるのは、得てして、それだけ文化的要因、価値観が世代層によっても異なると言えるかもしれない。
見えるものに対しての不安要素が(を)見えないものを(に)求め安堵感を抱く(抱きたい)という願望。それが僅かでも疑念をもてば、更にそれを埋めようとアクセスする。虚構の世界での悦楽は「夢」、儚い夢と知りつつも、それに異を唱えるほうが僭越で不自然ではない、と心の中のこころ(分身)が打ち消す。
打ち消すのなら救いはあるかもしれないが、融合してしまえば接点はない。点と線では交う事はない..のですが・・
煩わしさや疎ましさは極力避けて過ごしたい。
ゲーム時代に育った子供たちは遊ぶことも、個、であり、全(体)、は少ないと思われる。その世代が大人になっても、個、でありたい、と思うのは自然です。しかし、個と全を共有(共存)してゆかねば社会では生きられないことを知ってはいても、個の世界に身を委ねてしまう人もいる。
個、は煩わしさ、疎ましさ、は解消されても、寂しさ、淋しさ、虚しさ、は募る、見えないものに対して。見えないからこそ不安が錯綜し、その中で喘いでいるのでしょう。
世代が移り変わった時、今の年代の人達は若者達にどう問いかけるのでしょうか?
携帯電話とは、緊急時に連絡をとる手段だと僕は思っています。もちろん、仕事で必ずしも必要な現場での活用はしかたありませんが。
しかし、ここ数年、小学生からお年寄りまで携帯電話を維持するようになりました。小学生が持っている?僕の時代では、考えられません。このような世の中なのだから、しかたないのかと感じますが、本当に携帯電話は、自分自身の個性や感覚など精神状態を悪くさせる、使い方を一歩間違えれば、恐ろしいモノだと思います。
震災時では携帯電話が使えない、固定電話は比較的繋がりやすかったようですが、最近僕が目にする光景は、ゲームや、メール、チャット?と言った遊び感覚で携帯電話は絶対に手放せない存在になっているようです。
石井さんの文章にも、入院されて、手術中も手放すことができない患者さんがいらしたと。
ホント、そのような光景は日常あらゆる面であると思います。僕は、携帯電話を持っておりますが、最近のスマートホーンではなく、昔というのもおかしいですが、折りたたみ携帯電話です。皆様からは古いと言われますが、緊急時に連絡が取れればいいんです。メールなどは自宅のパソコンにしております。昔、僕も、携帯電話を何時間も見ては閉じての繰り返しの時がありました。精神的に疲れ精神のコントロールが気がつくとできなくなり、感覚がおかしくなっておりました。
最近は携帯電話の存在を忘れ、気がつくと充電できていないということがおおいです。笑
固定電話が一番いいんです。
最先端の時代にあえてついていく事のできない自分自身ではありますが、ぜひとも必要であれば考えます。笑
携帯電話は使い方により、病気になったり、ストレスになったりと、よく理解して使用していく事が課題かなと思いました。