ミチコさんの人“性”塾
2012年5月7日
出産と排泄と 詩人・伊藤比呂美

出産といえば、すぐ思い浮かぶ人に詩人の伊藤比呂美さんがおります。「胎児はうんこである」と自分の出産実感を詩やエッセイに率直且つ過激に書くので、お産詩人などと呼ぶ人もいます。
著名な民俗学者である宮田登氏との対談で、彼女は次のように述べています。
「私が『胎児はうんこである』と言いきりたかったのは、むしろ近代の母子観に対する反発からなんですけどね。どんどんどんどん赤ん坊の機能や母乳の大切さが言われていて、それが科学的に裏づけてもされていて、個人的民族的に子を育てるなんていうレベルじゃなくなっていて、母親の負担がどんどん大きくなっているわけで、母親はもう、神経症的にならざるをえないわけです。母親としては、それこそ生理的に子を育てる、育てられるはずなのに、子どもに対する愛情を必要以上に強要されている。やっぱりね、妊娠の段階で、胎児はうんこだと言ってしまえば、強要されている愛情というものから、すっきり逃れられるような気がしたんです」
では、比呂美さんの詩「いやさかさかさかさのさのさ」から、その一節を紹介しましょう。
めでたい
めでたいは子産み
殖える殖える人間
死ぬ死ぬ人間
殖える殖える
死ぬ死ぬ
殖えても死んでも
めでたいは子産み
子産みはゆかい
(中略)
いやさかさかさのさのさ
彼女はまた、「紙一重思想」と題するエッセイで次のように述べています。
「出産とセックスは紙一重だし、出産と排泄は紙一重だ。排泄と食欲は紙一重だし、食欲とセックスも紙一重である。さらに、死というのも、出産やセックスや食などと紙一重である。つまり、人間にとって、興味のある、生理的な、しないではいられないことがらは、みんな紙一重なのである」
いかがでしょう、彼女の言わんとするところが多少なりとつかめたでしょうか。
※ 伊藤比呂美(1955 ~)東京の生まれ。詩人。今までに見られなかった皮膚感覚をもつ文体で、現代詩に新しい領域をきりひらいた。エッセイ集「良いおっぱい悪いおっぱい 完全版」(中央公論新社)でも注目を集めた。
◇ ◆ ◇
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- 高柳美知子(たかやなぎ・みちこ)
- 1931(昭和6)年、東京生まれ。中学・高校の国語教師などを経て、現在は“人間と性”教育研究所所長。
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コメント
出産と排泄が紙一重という表現は的を得ているのでしょうね。
どちらも、この世に出すという意味では同一だろうと思います。
この世に出てから、育つものと、すぐに違うものに生まれ変わっていくものという違いはありますけど。
どんなものにも運命があるので、そういう意味でもあっているのでしょうね。
無いという事があるから、有るという事ってなんでしょう。
有るっていう思い込みだったら、有るは無いといえるのか。
表裏一体なら、見えているほうが表、裏はどうなっているか思うしかない。
そんな感じでしょうね。
出産と排泄を比べても、表裏の様な異質のものなのでしょうね。
紙一重と表裏一体。
有るものも無く、無いものも有る。
人は感じていないと無いと思う動物なのでしょうね。