[本人の思い]中村成信さん(下)戸惑い、つらさ…経験を伝える
受診後は、中村さんの前頭側頭型認知症の症状は、さらに目立つようになった。普段は温和なのに、突然、烈火のごとく怒り出し、どなったり、ものを投げたりして、手がつけられなくなる。「呼んだのに、返事をしなかった」というだけで、敏子さんに空気清浄機を投げつけようとしたことも。そうした感情の爆発は、気を許している相手の前で起きやすく、大抵は敏子さんが1人で受け止めるしかなかった。
中村さん自身にも、戸惑いがあった。
「自分は、正しいと思うことをやっているのだけど、それが周りから見るとおかしいらしい」
医師に自動車の運転を禁じられ、外出の時は、トラブルを恐れる敏子さんが付き添うようになり、「自立できていないように感じられた」のもつらかった。
◇
しばらく人目避けるが、意を決して近所に説明
事件からしばらくの間、一家は人目を避け、家に閉じこもって暮らしていた。敏子さんは「もうここには住めないと思い、『誰も知らないところに引っ越すしかないのかな』なんて考えました」という。だが、ひと月あまりたった頃、「いつまでもこうしていても仕方ない」と思い直し、意を決して近所の家を訪ねた。中村さんの病気や事件のことを説明すると、非難する人はなく、誰もが気遣いの言葉をかけてくれた。
近所の人の温かい反応に勇気づけられ、中村さんも、犬の散歩などに出かけるようになり、近くにある敏子さんの実家の畑を借りて、野菜を育て始めた。事件の前から参加していたソフトボールチームの仲間に誘われて、週末には練習に通うようにもなった。
事件から1年あまりたった頃、地元のデイサービスから「ボランティアに来てほしい」という依頼が舞い込んだ。少ないながら、報酬もあるという。
38年間、仕事一筋だった中村さんにとって、働く場がなくなった喪失感は大きかった。「病気になったけど、まだできることもたくさんある。残った能力を生かして、仕事がしたい」という思いを抱えていた。
見学に行ってみると、民家を転用した施設で、温かい雰囲気が中村さんの気に入った。まず、雑草が伸び放題だった庭の手入れからスタート。自ら育てた野菜や花を持っていくと、利用者や職員だけでなく、近所の人にも好評で、建物の前に専用コーナーを設けて、販売するようになった。
友人やボランティアが送り迎えを引き受けてくれるようになり、敏子さんに頼らずに外出することも増えた。活動的で規則正しい生活を続けるうちに、感情を爆発させることも減っていった。
中村さんの活動範囲が広がるにつれて、再び商品を勝手に持ってきてしまう心配もあった。「行動を制限するだけではダメだ」と感じた敏子さんは、中村さんの写真や診断書を持って地元のスーパーを回り、トラブルが起きた時には、まず連絡をくれるよう頼んだ。
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病気になったからこそ、得られた縁も
力を合わせて、事件や病気に立ち向かったお陰で、家族の絆はより強くなった。血縁だけでなく、人とのつながりを実感する日々だった。「失ったものは多いけれど、病気になったからこそ、得られた縁もある」と中村さんが言うと、「たくさんの人に支えてもらった6年間でした」と、敏子さんも声をそろえる。
2人の願いは、この病気のことを広く知ってもらうことだ。「同じ病気の人が身近になく、何もかも初めてのことで、本当に苦労した」(中村さん)からだ。
昨秋には、手記「ぼくが前を向いて歩く理由(わけ)」(中央法規出版)を出版。催しに招かれれば、出来る限り参加している。
「僕の経験を伝え、今後に生かしてもらうことをライフワークにしたい」。中村さんがそう言うと、隣で敏子さんがうなずいた。
※中村成信さんのシリーズは今回が最後です。
(2012年5月3日 読売新聞)
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