宋美玄のママライフ実況中継
2012年5月2日
リスクに納得すればどこで産んでもよいか

日本全国、大型連休ですね。実家から東京に帰るために、娘を連れて新幹線に乗っていたら、同じ車両のデッキで倒れた乗客がいて、「お医者さんはいませんか」とコールがかかりました。娘を抱いていたので迷いましたが、「産気づいた妊婦かも知れぬ」と駆けつけました。
倒れた方はおじいさんで、男性の患者さんを全く見たことがない私は戸惑いましたが、大事には至らず結果的には良かったです。
連休中で子連れの乗客が多く、みんなそれなりに音を立てているので、普段の平日ほど「静かにしなくては」と気を張らずに済みました。
◇
このところ連続して出産というテーマについて書いていますが、今日は先々週の「自然出産を礼賛するメディアの背景」という記事にいただいたコメントにもあった、「リスクを理解し納得していればどんな施設で産んでも良いか」ということについて掘り下げてみたいと思います。自分で納得すれば、産科医がいない開業助産院のような施設や自宅を分娩場所に選んでも良いのでしょうか。
何が起こるかわからない「出産」
言うまでもないことですが、健康で妊娠経過に問題のない人でも何が起こるか分からないのが出産です。
へその緒の圧迫などが原因で、急に赤ちゃんが元気とは言えない状態になることや、無事に赤ちゃんが生まれた後に母体が大出血することは、それなりに分娩数がある病院に勤めていれば日常茶飯事です。
このようにスムーズに行っていたはずが急変した場合、その場で対処できないとなると、母子の生命と健康を守るためには対処できる病院に搬送しなくてはいけません。搬送というステップを経ることで、必ず医療介入にタイムラグが生じます。受け入れ病院がすぐに見つかって、救急車がすぐに出動してくれたとしても、搬送先の診察台に移るには何十分もかかります。
実際は、搬送しなくてもいけるんじゃないかと迷ってしまったり、受け入れ病院がすぐに見つからなかったり、救急車が出払っていたりして(軽微な症状でのタクシー代わりの利用は控えていただきたいです!)、時間はもっと無情に過ぎていきます。このタイムラグはしばしば、後遺症が残ったり命を失ったりする分かれ目となります。
胎児が危険にさらされても…
リスクを納得した上で、「それでも私はそこで産みたい」ということは許されるでしょうか。がん患者が「死んでも構わない、手術は嫌だ」と言うのと異なるのは、自分1人の体ではなく、お腹の赤ちゃんを巻き込んでいることです。
私個人の感覚では、赤ちゃん自身がこの世に生を受けることを望んだのではなく、親たちのエゴで自分のお腹に宿したのだから、可能な限り守ってあげることが母親の責務であるように思います。
しかし、日本の法律上、胎児は一人前の人権を持っていないのです。
例えば、胎児を死に至らしめても刑法上は殺人罪ではなく母体に対する傷害罪となります。母体と胎児の両方が命の危険にさらされた時、我々産科医療者は母体を優先するのが不文律です。赤ちゃんは母体の外に出るまで一人前の生存権を持ってはいないのです。従って、母親が胎児を危険にさらしてもそれを止める権限をもつものはありません。ですから、母親が望めば危険な場所で出産してもよいと言うこともできなくはないのです。
「成功者」ばかりではない
「リスクには納得するから、好きな場所で産みたい」という人の中には、「出産で死ぬのなら、それが赤ちゃんの運命だから納得できる」と考えている人よりも、なんとなく自分は大丈夫だろうと考えている人の方が多いのではないかと思います。周囲に数人の幸運な成功者がいれば、ますますそのように考えてしまうでしょう。
実際には、母児共に無事に出産を終えられなかった人はその体験を語る気になれない人も多いでしょうから、成功した人の話が耳に入りやすいということもあるのですが。100個に1個「当たり」が入っているくじも、1度引くだけなら当たる気がしないものです。それを毎日何個も引いている産科医は年に何回か当たりますから、一生に数回出産するだけの方とは感覚が違うのが当然かも知れません。
院内助産院をすすめたい
出産は文化的な側面もあり、思い入れやこだわりは各人あって当然だと思うので、私は出産の多様性を大事にしたいと考えています。だから安全性もある程度クリアした院内助産院というシステムが良いのではないかと思っています。実際にそれを運営している病院に勤めていたこともありました。
もし、院内助産院じゃだめだ、建物が独立した助産院じゃないとだめだという人がいるなら理由を聞いてみたいものです。
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コメント
自宅出産の記事を読んで、いつも考えるのは、お母さんは赤ちゃんの命だけでなく、人生を預かっている認識があるのかな?という事です。
出産でトラブルがおきて、救急車を呼んで救命できたとしても。
家に救急車が着くまで、病院へ搬送している間と、医師の処置を受けるまでのタイムラグがどうしても生じますよね。
となると、もし赤ちゃんの呼吸や心臓が止まっていたら、脳に酸素を送れず障害が起きると考えられます。
その結果、赤ちゃんに重篤な後遺症が残る可能性もありますよね。
それを母親の「自己責任」で片付けてしまって良いのか?
後遺症を負うのは赤ちゃんですから。
「仕方ない」では済ませることができません・・・。
成功の陰には、必ず失敗があります。
自宅出産などを希望している方やご家族には、そう言った部分を見ていただきたいと思いました。
私は国内で働く小児科医です。
途上国で働いたこともあります。
現代の日本では、病院での出産が一般的ですが、
その理由の一つが、「安全な場所で産みたい」のようです
果たして、個人の産婦人科医院、総合病院の産婦人科、
そこでのお産が100%安全かというと、そうではありません。急変時、その場に、急変に対応できるスタッフがいるとは限りません。24時間365日対応できる病院の方が少ないと思います。
ほとんどのお産の場合、助産婦による、助産院での分娩のほうが、病院で砕石位によるお産よりも母子ともに負担は少なくなります。原発ではありませんが、闇雲に病院の「安全神話」にすがるより、急変時の対応を確認するほうがいいのではないでしょうか?急変時にきちんと対応できるのであれば、どこで産んでも、自宅であっても、それは問題ないと思います。助産院の助産婦に急変時の対応を習得してもらうこと、助産院で対応できない場合の流れをスムーズにしてもらうことが一番大切だと思います。
分娩台のどこが悪いのでしょうか。
臨床の歴史を重ねて最も合理的に作られたものを
否定する考えを理解することができません。
雰囲気でしょうか?
2度出産を分娩台の上で経験しましたが、
自然分娩はあくまでも自然分娩で、
医師と助産師の役割は何か起きない限り
変わらないという印象でした。
実際に出産する際は、赤ちゃんの無事をただ祈るのに必死で、
どこでお産をしているのかなど、考える状態ではありません。
何かあった際に、直ちにに処置を行える場所で
出産をすることが親の義務です。
リスクがあっても自分の流儀を優先するのはエゴでしかない。
親になりきれない子供のすることだとさえ思うのは
私だけではないと思います。
「日本の法律上、胎児は一人前の人権を持っていないのです。」
という一文が気になりました。
日本〜アジアでは古くから「数え年」文化が存在しました。
ご存じのように、「生まれた時点を1歳」とする数え方です。
つまり、胎児期も一つの命として見なされてきたことを意味します。
これが「満年齢」に正式に変更されたのは戦後です。
大切な文化を失ってしまいました。
私も妊娠前は「助産院での出産って素敵」などと思ったこともありましたが、
実際に妊娠してみて、考え方が180度変わりました。
ついこの前までそこに無かった命は、またすぐにでも無くなってしまいそうでとても怖い。
少しでも安全に産むためにはどうしたら良いのか、そればかりを考え、
助産院での出産など選択できるわけもありませんでした。
そういうお母さんは少なくないと思います。
助産院での出産を選択されたお母さんは、
結局のところ赤ちゃんの安全よりも自分の希望を優先した人です。
自ら望んで赤ちゃんを危険に晒しているのですから、
何があっても自己責任なのではありませんか?
仮に助産所分娩廃止が実現できたとしても、
仮に医師の立ち会わないお産が「違法」だと明文化されたとしても、
そういう母親はそれでも病院が嫌だと、
真に合わなかった風を装って自宅分娩を強行したりするのではないでしょうか?
そんな人のために、医師や真っ当な母親におかしなしわ寄せが来ることの方が困ります。
助産院が「病院」の看板を掲げていたのなら、助産院の責任です。
でも、助産院が「助産院」の看板を掲げているということは、
つまりそこに医師はいない、安全性に劣ると明確に謳っているわけで…
好き好んで安全性に劣る選択をしたのは母親ですよね。
それを、「合法だから」と行政のせいにするというのは、
電子レンジで赤ちゃんを乾かそうとして、「だって違法だって書いてなかったもの!」
って言うのと同レベルの話だと思います。
twitterからこちらの連載を知り、拝読いたしました。
非常に興味深く、面白かったです。
今後も楽しみにしています。
せっかくなので意見をお送りします。
私の住む地域では出産場所には選択肢はあまりないので、出産の方法を選べること自体、
うらやましいほどです。
仕事柄、病院での管理分娩も助産院での自然分娩もよく知っています。
私自身は叶いませんでしたが、選べるのなら助産院での自然分娩を選びます。
だからといって病院での出産がもちろん悪いはずもなく、
個人の健康状態やさまざまな条件によって病院しか受け入れられない場合もあり、
それが悲しいとか失敗だとかは思いません。
ただ、声を大にして言いたいのは、
妊娠中の人が全員できることは、
出産できるだけの体力をつけ、自分の健康を整えておくこと
だということです。
一部の助産院などでおこなわれている行きすぎとも信仰まじりとも思えるような
徹底した自己管理まではいかないまでも、
自分で赤ちゃんを産み出すだけの体力をつけておくことは、
出産自体が楽になり、産後の体の回復のためにも、育児をやっていくためにも必要不可欠です。
病院で医師や助産師が赤ちゃんをだしてくれるという
妊婦側のおまかせ意識をなくしていきたいですし、
一方の産科医側にも、医療のテクニックを駆使して丸くおさめればOKというような
驕りを感じています。
また体力をつけたり、自分の健康を自分でつくるということは、
医療施設の少ない地方こそ、必要なことだと考えています。
だからこそ、一部の先見の明のある人たちの間だけではなく、
妊娠中から体力をつけておくことが周産期の常識になるよう願っています。
数年前に産科の少ない激戦区?で出産した者です。あの時産科に通い、入院出産して思ったのは、やはり出産を扱ってる病院が少ないのでは?と感じました。
かなりの遠方から通ってる妊婦もいましたし、素人目に見ても医師や看護師、助産師さん達はそれはそれは激務に見えました。あっちへこっちへ飛び回り、先生いつ寝たの??とこちらが心配するくらいでした・・それぐらい逼迫していますと事前に説明までありました。
ああいう状況で出産すると、助産院にあこがれる方がいるのは少しわかります。
産む方も極限状態ですから、もっと助産師にアドバイスがほしかったとか、もう少し様子を見に来てなるべくそばにいてほしかった、たまには腰をさすってほしかっただとか、正直いろいろ思いました(ただのワガママですが笑)
助産院や自宅出産だったら、ほぼマンツーマンで見守ってもらえるのもメリットのひとつなのでしょう。
ただ、助産院や自宅出産を選択する方の言う「リスクは承知で」とか「覚悟はしてる」という言葉には甚だ疑問です。リスクが何の事かわかっていない、覚悟なんてできてるわけないでしょう?と言いたい。
今目の前で元気に成長している子供を見ていると、もし自分の選択によって子供が亡くなっていたり、何か負わせてしまったらと考えると、なんというか想像を絶する後悔とか、生き地獄のような日々が待っていたのではと思います。。
子供が亡くなるということは本当に恐ろしいほど悲しい事だと思うのですが・・本当に覚悟なんてできる人はいるのでしょうか・・聞いてみたいです。
院内助産院、ぜひ増えてほしいです。
〔ゆかり〕様 のコメントは本当に正しいと思います。
ですが、今現在ある助産所を廃止、倒産させることは産科医療界でも出来ないのではないでしょうか
その他にも、産科医療の複雑な仕組みのせいで
表立って禁止出来ないことが多いのかもしれません。
リスクの問題、医療事故の確率の問題、どのような症状になったら危険が増すのか、、、、
それを妊婦本人が自覚し選択、決定できるように
産婦人科の先生方は厳しく妊婦さんに対応し
勉強するよう促しているのかもしれませんよ。
宋先生のおっしゃること、よくわかります。
助産所や自宅分娩はリスクが高いから、院内助産院。もっともです。
しかし、いつも疑問なのが、このテーマになると、
助産所での分娩を選択する母親ばかりが医師たちの槍玉にあがることです。
宋先生のことを言っているのではなく、
産科医全体にそういう風潮があるなあ、と感じています。
でも、助産所分娩が合法的に存在している以上、
そこでの分娩を選ぶことに、何の非もないはずです。
国が認めているから起きていることなのに、
助産所を選んだ母親を貶めていることに疑問を感じます。
母親を責めるのではなく、
産科婦人科学会が、助産師会や厚生労働省などに、
助産所分娩廃止を提言することはできないのでしょうか?
何をして血圧が高くなったかはわからないですが、気が沈んでいるのだから、その症状を医師に伝えて処置を早くすればいいんじゃないの?
早期発見早期治療すれば。
共感している時間さえもったいないです。
産婦人科の範疇じゃない症状だと思いますよ。
書面に残してサインして医療拒否という事ができると助産院内での受け入れしか出来ないと思います。その覚悟があるのならですけど。
日本の法律で医療拒否を前提に出産が許されているかが前提でしょうけど。
もめれば裁判でしょうね。
被告席にだれをいざないたいか。
セックスをする前によく考えてからしたほうがいいと思います。
国内で出産するより、海外での出産も視野にいれてなかっただけでしょう。
国内には法がありますので守られています。
自分が好きな法律だけを適用できる訳ではない。
とにかく早めに気落ちの症状を対処できるといいですね。きっと気落ちを分娩台というものに投影しているんじゃないでしょうか。本人を診察してみないとわからない事でしょう。
早めに受診を勧めたいですね。
先生のブログ、ツイッター共にいつも拝見しております。その度に私の考えについて改めたり、問い直したりして、本当に勉強になります。いつも発信をありがとうございます。
さて、院内助産院についてなのですが、友人が院内助産院で分娩に挑みました。
しかし、分娩時に血圧が高くなってしまったため結局は院内助産院ではなく、通常の分娩室で分娩台での出産となったそうなのです。
そうすると、彼女は院内助産院で産めなかった…分娩台での出産に、なってしまった…、と思ってしまったのです。
分娩台での出産が意図せず、否定的な意識が産まれてしまうように思いますが、いかがでしょうか。