吃音ドクター・菊池良和さんインタビュー全文(1)悩み深めた青春時代
九州大学耳鼻咽喉科の医師菊池良和さん(33)は、幼い頃から、
| 菊池良和(きくち・よしかず) |
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| 1978年、山口県生まれ。九州大学医学部卒。耳鼻咽喉科医師、医学博士。昨年2月、「ボクは吃音ドクターです。」(毎日新聞社)を出版。医師や言語聴覚士、吃音者らへの講演活動も続ける。今年5月、「エビデンスに基づいた吃音支援入門」(学苑社)を出版予定。 |
――吃音に対して否定的な感情を抱いたのはなぜでしょうか?
「最初の記憶は、幼稚園のお遊戯会でセリフをどもったことです。みんなに笑われ、幼心に『あれ、なんかいけないことをしたのかな』と思いました。今でも鮮明に覚えています。吃音は悪いことで、恥ずかしいという認識が芽生えたのです。その後も、どもると笑われて、からかわれる。まねをされたこともありました。小学校では、国語の授業で交代で教科書を読む『本読み』が苦痛でたまりませんでした。心臓がバクバクして、家で練習してもうまく読めない。『なんでそんなしゃべり方をするのか』と聞かれたこともあります。まねをされ、からかわれる。劣等感を抱きました」
連発性の吃音に、難発性加わる
――吃音は、いくつかのタイプがあるのですか?
「主に、『き、き、きくち』など最初の音を繰り返す連発性と、最初の一言が出ない難発性があります。当事者でないと想像しづらいかもしれませんけれど、のどにカギをかけられたような感覚です。私のように、最初は連発性だけだったのに、うまくしゃべろうとのど(声帯)に力が入ることで、次第に、難発性も加わるというケースが多いのです。」
――難発性が加わって、新たな苦労もあったようですね。
「小学校4年生の時、両親が不在で自宅で留守番をしていたときに、電話が鳴ったんです。受話器をとったはいいものの、『はい、菊池です』が出てこない。電話をかけてきた父の知人は不審がりました。私が、友人の家に電話しても同じです。いたずら電話だと思われて切られたこともあります」
――高校は進学校に入学されました。
「中学生の時、医師になろうと決めました。どうすればどもらなくて済むかと、子どもなりに考えて、死ねばどもらない、と思い詰めたこともありました。でも、自ら命を絶つこともできない。最大の悩みである吃音を研究したい、自分が医師になれば吃音が解決するかもしれない、と思ったのです。劣等感をバネに猛勉強しました。両親は私の悩みに、気付きませんでした。必死に吃音を隠していましたから、もう治ったと思っていたそうです」
色々工夫し、必死に隠す
――どうやって隠したのですか。
「色々工夫しました。最初は、言葉が出てこなくても不自然にならないように、『あのー』と前置きをつけていました。そのうち、どもりにくい言葉に言い換えたり、言葉の順序を入れ替えたり。たとえば、『昼休みになわとびの練習をしよう』の、最初の『ひ』が言いにくいなら、『なわとびの練習を昼休みにしよう』と言うのです。でも、行動は限られました。自宅には、現像していないフィルムが山のようにたまりました、写真屋で、名前を聞かれて、答えられなかったらと思うと、怖くて行けないのです。医学部も、九州大学を受験した理由は、面接がなかったからでした」
――念願の医学部に入ってからも、吃音恐怖症は続いたのでしょうか
「はい。入学後、しばらくは、下関の実家から新幹線通学をしていました。引っ越しをしなかったのは、『しものせき』という言葉が言いやすかったから。もし、新しい住所が言いにくかったら困ると、躊躇したのです。大学で知り合った人に、『どこに住んでいるの』とよく聞かれるでしょう」(続く)
(2012年4月26日 読売新聞)
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