石井苗子の健康術
2012年4月13日
怒りのコントロールをしないと周囲に迷惑をかけてしまう

(能事という言葉をかみしめました)
ブログに頂くおひとりおひとりのコメントに、お返事できないことを申し訳なく思っておりますが、いつも感謝しております。
前回のコメントに、「どうしても日本人は責務というものが心を覆います」というのがありました。ボランティア活動にあまり力を入れすぎないようにと。ありがとうございます。
「能事(のうじ)」なすべき事柄という意味だそうです。
なすべき事に一生懸命になり過ぎると、知らないうちに周囲に迷惑をかけることになる。この言葉を最近、テニス選手だった佐藤次郎さんのドキュメンタリー番組で耳にしました。
佐藤さんのお母様はいつも次郎さんに、「能事を上げ続けてはいつか限界が来る」と言い続けていました。しかし佐藤さんは渡航中の船から、投身自殺を図ります。私には佐藤さんの魂の深いところにあった強い怒りが、テニスという能事と相まって、彼を追い込んでいったように見えました。
17歳の新人選手に敗退してしまったという怒りより、慢性的な持病とも言える神経性の下痢に対する怒りや、テニスというスポーツで日本国を背負い、テニスコートでまるで戦争でもしているかのように戦うことが能事だとする激しい感情が怒りになっていたと思います。
もう勝てることが出来ないなら死ぬことでしか責務を果たせないという言葉は、自己完結の鬼のようにも聞こえますが、もう一方で、残された人達の悲しみはどこに置き去りにされたのかとも感じました。
ペーター・シュヴェンクメッツガー博士の著書に「怒りと葛藤の克服訓練」がありますが、私もよく読んでおこうと思っています。私の中に、マイナスのエネルギーをプラスに置き変えるという考え方が強く存在していますが、マイナスのエネルギーの王者である怒りを、強く引っ張り上げ何かに強烈に真剣になると、周囲にも厳しくなりすぎて、行動に柔軟性を失い、自分を追い詰め、結果的には周囲にも迷惑をかけることになってしまうかもしれない。それではボランティア活動は続きませんよと、読者の方からご助言頂けたと思います。反省しました。ありがとうございます。
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コメント
怒りというのは、マエブレもなく急に襲ってきます。
「これから怒りが来ますよ御注意ください」などの何らかの信号があればいいのですが、そうはいきません。
自分自身が怒るのは自分が悪いのですが、つい、周囲の方々や家族に対して迷惑をかけてしまいます。そんな時、30分後の自分は、反省、申し訳ないという気持ちにかられます。
怒りのコントロールは本当に大変ですが、能事ということの意味を深く学べました。
僕は怒っている時間は自分自身ではあまり長くないと思いますが、30分もすれば適度に我にかえり後悔いたします。
前回にもコメントをさせていただいましたが、家族が病気という観点から、心配だから怒ってします傾向がどうやら、20年前からあるようです。
しかし、周囲に迷惑をかけてしまう結果になるので留意すべきことなんだと再度、痛感致しました。
機会があれば、ペーター・シュヴェンクメッツガー博士の著書に「怒りと葛藤の克服訓練」を読んでみたいと思います。
「個」である人間のエネルギーを防ぎようのない手口でバランスを崩しにくる『何らか脳作用システム』怒りや心身のバランスの葛藤を本を読んで解決するなら、それは干渉目的にされている。結局、その行動が続くやら自己完結の鬼とか、当人蔑ろの、ためにならない「慰め」と、言語学習で自己満足の極みである「宗教臭」いや、要約すると認知と行動療法の適正を「自分」のために納得したいのだなぁという他人との距離が「よくわかる」提示だ。
相性は大事。
それと、「物語」に力があっても「啓発」される解釈・理解がてっとりばやい「日本人」の「能事」でよろしいでしょうか。バブルの末みたいなうかれから時代が変われりさりげなく態度をしめしてもそのバランスは何ら変わっていない。乱筆で申し訳ない。やりっぱなしの間違いだらけのシステムをあくようしてかいしゃくし何が「怒りや葛藤の本」だろうか。『生きる時代ではなくなった』。どういった活動であれメディア通すタレント性からは得るものはない。「迷惑」なのは「怒り」だけではない。超越された問題がそこにある。電子メールゆえの乱筆である。こういった馬鹿みたいなメールがふしんなら編集部にでもたずねてほしい。「生きる時代ではなくなった」ことを。無関係なこれらへ電子化メールな「怒り」風であることを。慰め役ではもはや解決しない被害なのだろう。