石井苗子の健康術
2012年4月10日
南三陸町に行ってきました

(人の死に、色はつけられないと思います)
南三陸町の仮設住宅地を利用して、飲食店や商店を並べて経営しているところがあります。震災で家や、お店を無くされた方がお店を出されているのです。被災地から車で5分と離れていません。
「きぼうときずな」の派遣スケジュール役の親友が、そこで働く80歳の女性を知っているというので、一緒に訪ねることにしました。
栗駒高原からレンタカーで約2時間、ちょうどお昼時に到着するとお店はがれき撤去チームの方たちで賑わっていました。でも外は猛吹雪。天候の変化が激しく、寒さは実に厳しいものでした。
名物の水タコ、海産キラキラ丼にラーメン、焼そば、すいとんを食べ、商店街でわかめ、こんぶ、のり、生カレイ、ふかひれなどの海産物、かまぼこやジャムから手作りパンまで買い込みながら、私たちは何を話していいのか話題がみつからず、ひたすら自分たちの私生活のよもやま話にあけくれました。
帰りの時間が迫ってきたころ、そのおばあ様の娘さんから、流された自分の家の跡地を見に行かないかと誘われ、車を走らせました。
テレビで見覚えのある南三陸被災地の風景が目の前に現れました。ボロボロになった病院の建物はそのままでしたが、公園だった場所にがれきが山のように積み上げられ、周辺の整理はほぼ終了していて、遺品が散らばっているというようなことはありません。
あれから1年たった。
その場所に居ながら、私は相変わらず何を言葉にしたらいいのか分からずにいると、親友が「この土地はどうなるの?」と彼女に聞くのです。「二束三文で国がお買い上げでしょうね」と答えたその人の顔から笑顔が消えていました。
大津波が来たと所に住宅再開発は許可されないでしょう。これからは高台に新しい家を作って生きていくのでしょう。
それでも離れ難いのは、亡くなった人の思い出が脳裏を離れないからではないかと私は思いました。
またここに住めたらいいのにと、きっと思っていらっしゃるのでしょう。「死んだ人に色はつけられない」、という言葉が頭を横切りました。
戦争で死のうが病気や災害で亡くなろうが、この世に残されたものの思いは同じなのです、出来る事なら戻ってきてほしいという、切ない思いが残るのではないかと。
手を振りながらお別れしてきましたが、最後まで私たちは、「きぼうときずな」の話ができませんでした。どうしてなのかは、分かりません。
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コメント
僕は、このコメントに関して何が今後必要なのか考えておりました。
それは、心のケアだと僕は思いました。
人間というのは、本当に弱い生き物です。どんなことにも傷つきます。
この度の震災で被害にあわれた方々に対して、僕はありきたりの言葉を言えませんでした。
僕は、家族が病なので、ボランティア活動には参加できませんでしたが、石井さん是非、年齢関係なく、一人一人の目を観て同じ目線で耳を傾けてあげてください。
特に、子供はこれから成長するにあたり心の精神的ケアが非常に必要だと思います。
石井さんなら数々の困難、苦労、経験をされてらっしゃいますので、この分野に活動やコメント宜しくお願い致します。
最近は、CMではあまり放送されておりませんが、頑張れ頑張れ、という発言は僕は間違っていると思います。
皆、今、一日一日がんばっているのだから。
人間は皆頑張って生きているのだからと。
ここでは、言葉という概念を考えさせられました。
特にアメリカではゴーストタウンという言葉を聞いたことがあります。西部開拓史の金鉱の廃墟ではなく、そんなに昔ではないのですが。
国民性で個人の良識ではないとおもいます。新しい天地を目指す求めるのは道理で過去を引きずらない、再出発と心を新たにする。
地震、津波だけではありませんが、様々な禍(災い)が都市を空洞化させる。日本もアメリカナイズされてきている今日、思考が若者達と私達では違います。それを踏まえて考察しないと、それこそ回転木馬のように堂々巡りで同じ思考回路で出口がみえない。
このようなことは、アメリカに精通している石井さんは熟知されておられます。でも日本人ですから理性と感情を区分するのはとても難しいです。対岸の火事をみるのであれば客観的に考えても、家事の基にいれば、いろいろな気持が錯綜する。これが心理です
ご自分のできゆることをなさればいいのであって、一身に背負うと荷が重たいです。荷物も分担して持ってもらえば軽歩できます。
どうしても日本人は責務というものが心を覆います。しかし、それは国、地方自治体の職責であって個人ではありません。
もう少し気を楽にして過ごされたほうがご自身の為、それは取りも直さず相手の為でもあるとおもうのです。
石井さんの言われていること、私は分かる気がします。何もこれからもここで安全な暮らしができるように堤防とかを作ってくれということではないでしょう。現実的に、もっと安全な場所で新しい生活を始めることが望みでしょう。
それでも、こころの思いとしては、あんな地震なんかなくて、津波も来なかったあの日より前の世界に戻りたい、という気持ちがあると思うのです。誰かが亡くなったときに、もどってきてほしい、という気持ちと同じです。それはかなうものではないし、現実的な願いではないけど、こころの中にあるのです。それを感傷としてわきへのけてしまってはカウンセラーの仕事はできません。
ここで焦点となるのは、そのこころの思いをできるだけいたわりながらも、新しい生活にむけての準備を整えるということではないかな、と思いました。その手助けをするのがカウンセラーであり、ボランティアであり、医療チームであり、そのほかの救援の人たちの仕事なのでしょう。
外国に住んで、いまひとつ日本の現実がわからないので、的外れなコメントになっているかもしれませんが、日本にいる人は日本の援助に力を尽くしてください。ハイチには私たち北米に住む者が救援に行っています。募金も集めています。今は外国のことを心配せず、国内の人々をいたわって助けてあげてください。
在外の日本人も応援しています。心のケアに目が向けられているのはすばらしいと思います。こういう大きな災害に対するカウンセリングはきついと思いますが、がんばってください。
「二束三文で国がお買い上げでしょうね」とのことですが、日本がまだ先進国だからできることではないでしょうか。
お買い上げにもなれない貧しい国での津波のことも忘れてはならないと思うのです。
それに、私の知っている被災者の方々の望みは、石井さんが思っているよりももっとつつましいようです。
津波の来たところに元通りの町を作り直せなんて、それで命を保障する堤防や豊かな暮らしを実現するこぎれいな町並みやらを税金で作れなんて、そんなこと本心では望んでいる人は少ないと思います。
未来の子どもたちが命の不安にさらされないように、確実に生きていける町作りを若い人たちの多くは望んでいます。
石井さんのような方の手助けが本当に必要なのは、これからを担う若者と、子どもたちではないでしょうか。