年長者の恩を次世代に
眉根にシワを寄せて、碁盤をにらむ。テレビでは、なかなか見られない真剣な表情で、白石を置いていく。
対戦相手の87歳の男性は、囲碁歴は同じ2年で、実力も互角。接戦を展開したが、負けが決まると、「すごいね。あなた、強いよ」と、いつもの人なつこい笑顔を見せた。
講演などで、全国を飛び回るかたわら、ボランティアで、高齢者施設を訪問している。時にはこうして、お年寄りと碁盤を囲むこともある。
高齢者と子ども、それから困っている人を見ると、何かせずにはいられない。東日本大震災後には、繰り返し被災地に足を運び、炊き出しにも加わった。秋には、埼玉県で水田を借りて育てた米を被災地や被災者の避難先に、自ら届けて回った。「いろんな人の話を聞いて、涙が出てきたよ。僕たちは、亡くなった人を悼み、家族や友人を失った人の思いを受け止めなくてはいけないと感じた」と話す。
ギニア西部の町、ボッファで生まれ育った。天空を飛び去る航空機を見上げていると、母が「たくさん勉強すれば、あれに乗れるのよ」と教えてくれた。その言葉を胸に勉学に励み、国費留学生として、パリ・ソルボンヌ大に進んだ。1972年、帰国してギニアの外務省に入り、在日大使館の開設に伴い着任。8年を日本で過ごした。
ワシントンでの勤務を経て、日本に戻ったのが84年。「日本の人に、ギニアのことをもっと知ってほしい」と、バラエティー番組に出演したのを切っ掛けに、親しみやすいキャラクターで、お茶の間の人気者になった。
「国費で留学させてもらったことを始め、様々な人のおかげで、今の僕がいる。その恩返しがしたい」。そんな思いを込めて、ボランティア活動に打ち込む。
誰よりも感謝している母とは、ほとんど一緒に暮らせなかった。老いていく母を支えるために、10年前、ホームヘルパー2級の資格を取得。ギニアに帰るたびに、すっかり細くなった母の背中や足をマッサージし、親族に介護の方法を教えた。自宅に日本式のお風呂をつけてあげると、母はとても喜び、友人や近所の人を招いた。
その母も、6年前に亡くなった。恋しくなると、高齢者の施設を訪れる。「お年寄りの深いシワを見ると、お母さんを思い出して慰められる」からだ。
年長者を敬う一方で、次世代の育成にも力を注ぐ。ギニアの親を亡くした子どもたちの施設に、衣類や文房具などをプレゼントする活動を20年ほど続けている。建築費を寄付して作った小学校もある。「人の一生は限りがあるけれど、命は、祖先から僕たち、そして子孫へと受け継がれ、無限になる」
寿命が尽きても、みんなの心の中に生き続けたい――。そんな願いを持って、人のために奮闘し続けている。
次の目標は、高齢者が暮らし、近所の人が気軽に集まれる老人ホームをギニアに作ること。もちろん、温かい湯があふれる日本式のお風呂をつける計画だ。(飯田祐子)
オスマン・サンコン タレント、駐日ギニア大使補佐官。1949年生まれ。高校生の時のケガが原因で、右足に障害があり、自身の生き方や、障害を持つ人々との出会いをつづった「明るく生きちゃ悪いですか?―障害を持って生きるボクたちからのメッセージ」(広美出版事業部)などの著書がある。
(2012年3月19日 読売新聞)
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