石井苗子の健康術
2012年1月20日
蘇る父の健康法

(色あせない思い出に父の健康法がありました)
新年早々、新幹線に乗り遅れてしまいました。福島県からの帰りに、コーヒーショップで原稿に夢中になっていたら発車時間が過ぎていました。
まぁいいか次で行こうと思っていたら、目の前にでっかい看板が見え「玉子湯」と書いてある。「秘湯なんだ~~~」なんて眺めていたら、冒険心がうずき、すぐタクシーに乗りました。
「しまった!」と思いました。すごい山奥に連れていかれている。あたりは暗くなっていくし、不安になり引き返そうかと思った頃、目もくらむほど明るいホテルに着きました。そこだけ別世界なのです。
ご飯を食べて寝っ転がった頃、ある事に気が付き始めました。なんだろう? この匂い。どっかで嗅いだことがある。玉子湯か~~~、玉子ね。
あッ!!
心の動揺に驚いて飛び起きてしまいました。もしかしたら来たことがあるかもしれない! しかもあれは、お正月だった。小学生のころだ。とすると50年前になる。
この匂いの中で、父が宿の火鉢でお餅を焼いて食べさせてくれた。朝食に出た自分の海苔を残しておいて、ポケットから出してきて、それを私の餅に巻いてくれた……。自分のは醤油だけつけて食べてた絵のような思い出がある。もしかしたらここ、同じ温泉宿なんじゃないか?
でも勘違いってこともある。走ってフロントに降りて行き、50年前はどんな宿だったかと尋ねると、うれしそうな顔が返ってきた。「そこに資料館がありますよ」。飛ぶようにして行くと、木造建ての懐かしい昭和の姿の写真が並んであった。「あ~、そうそうこんな感じだった」。それにしても、あのときなぜ父は、私だけ連れて来たんだろう。どうして母と病弱な妹を東京に残した正月だったのか。不思議でたまらなくなりました。
謎が解けたのは、離れの温泉に入ったときです。玉子湯と書いてある岩や、昔と変わらない作りの湯船に、もうここに間違いないなと思ってきた頃、温泉の効能のところに「胃腸障害」と書いてあるのを見つけました。私の父は胃腸が極めて弱く、それが原因で亡くなってしまいました。
ああそうか。幼い私とここに湯治に来ていたんだ。さぞ寂しかっただろうな。でも私がいて少しは楽しかったのかもしれない。
お父さん。導いてくれてありがとう。50年の歳月が流れてこの温泉はますます栄えています。私も元気です。そう囁いたら湯船の煙と涙で、なんにも見えなくなってしまいました。
※コメントは承認制で、リアルタイムでは掲載されません。
編集方針はこちら。
<編集方針>
投稿いただいたコメントは、編集スタッフが拝読したうえで掲載させていただきます。リアルタイムでは掲載されません。 掲載したコメントは読売新聞紙面をはじめ、読売新聞社が発行及び、許諾した印刷物、ヨミウリ・オンライン(YOL)、携帯電話サービスなどに複製・転載する場合があります。
コメントのタイトル・本文は編集スタッフの判断で修正したり、全部、または一部を非掲載とさせていただく場合もあります。
次のようなコメントは非掲載、または削除とさせていただきます。
- 当ブログとの関係が認められない場合
- 特定の個人、組織を誹謗中傷し、名誉を傷つける内容を含む場合
- 第三者の著作権などを侵害する内容を含む場合
- 企業や商品の宣伝、販売促進を主な目的とする場合
- 選挙運動またはこれらに類似する内容を含む場合
- 特定の団体を宣伝することを主な目的とする場合
- 事実に反した情報を公開している場合
- 公序良俗、法令に反した内容の情報を含む場合
- メールアドレス、他のサイトへリンクがある場合
- その他、編集スタッフが不適切と判断した場合
以上、あらかじめ、ご了承ください。

コメント
硫黄泉の高湯温泉は、那須湯本温泉、蔵王温泉と並ぶ、泉質が自慢の温泉です。
福島市内から車で30分ぐらいの山中にあります。中小の旅館、ホテルしかありませんので、湯治場の雰囲気を残した温泉街です。私が住む郡山市からは高速で1時間ほどですので、日帰り入浴にもたびたび訪れます。近隣には、土湯温泉、岳温泉もありませので、温泉巡りも楽しめます。県外の皆さんにもお勧めです。
これは偶然ではなく必然でしたね。
きっとお父様からのメッセージ・・・。
「いつも気にかけているし、見守っているよ」ではないでしょうか?
感動しました。映画のような、素敵な話ですね。私も今は亡き父を思い出しました。
親を思う気持ちは古今東西同じではないかと思いますが、親の存命中に親孝行ができなかったことを齢を重ねるごとに切なく思い返します。
当時は自分のことだけで精一杯だったのでしょう・・・。
そう思うと一人息子の音信不通にも納得できると・・・自分を慰める老いた日々です。