石井苗子の健康術
2011年10月11日
オンナの自由がもたらした日本の少子化ですか?

(最近始まったあるドラマの展開が気になるのです)
「どうして男に生まれなかったんだろう」と幼い女の子が呟くところから始まるドラマを今見ています。私も小さい頃、一緒に外で遊んでいても、そこらへんで用を足してすぐまた戻ってこれる男子に対して、「紙いらないし、パンツ脱がなくていいし、ずるいよ、どうして私も男に生まれなかったんだろう」と思ったことがありました。
この「ずるいよ」という気持ちは、次第に社会の男女差別に対する意識へと変化していき、長い間心理的ストレスの塊となって私を苦しめました。
上のドラマの中で「女は男を助け母になり家を守ることで家族と国の繁栄を支える」と教える小学校の授業風景があり、「あなたは将来このように出来ますか?」と主人公が質問されるのです。彼女が黙りこんでしまうと、そうと知っていたある男子がわざと自分の椅子から仰向けに転がり落っこちて、その場の注意を引く騒ぎを起こします。これを見て胸が一杯になってしまいました。
こんなふうなやり方で、私も暴言トラブルを起こす一歩手前を助けてもらった昔を思い出しました。どうしてあの時、偶然だったのかどうか確かめずに今日まで生きてきてしまったんだろう、もしかしたら、少しだけ私を理解してくれていたのかもしれない。今どうしているんだろうか、まだ生きているだろうか、会いたい、お礼が言いたいと胸が熱くなりました。
私の生きてきた時代はこのドラマとあまり変わりありませんでした。仕事で成功したり、男子に意見でもすれば、2種類の反発がありました。男子からは扱い難いオンナ、女子からは図々しいという反発でした。現に私の叔母たちの愚痴の多くは「世の男はオンナの我慢で成り立っているのよ!」でした。
今の時代はここまで不自由ではないと思います。ドラマのように「離婚なんてとんでもない」とは言われないと思います。結婚も仕事も母も自己責任の時代になりました。でもひとつの自由を手に入れれば、ひとつの不自由が生まれるかもしれません。少子化は、女子が生きるために、結婚と出産以外の選択を手にしたころからの産物でしょうか。
今は男子が我慢する時代なのかもしれませんが、男子も変わりつつありますから、そろそろ本当の意味での男女共同参画時代がやってくるかもしれません。
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コメント
在米でアメリカ人と結婚しました。
アメリカ人の義母(68)は昔はウーマンリブを掲げていた人ですが、今じゃ「庭仕事や手の汚れる仕事は男の仕事よ」と自分じゃ何もしません。車の乗り降りも夫である義父がドアの開け閉めをしています。ガソリンも自分で入れた事がないそうです。でも、それは二人が合意の上なので私には関係がありません。 でも、なんだかなぁ、と思います。
私たちは「出来る人がやる」というのが前提。 手があいている人が「落ち葉集め」「掃除」「洗濯」「皿洗い」をする。 出来ない事は、お互いに補い合う。
たとえば、車のオイル交換は夫、繕い物は私。 でも、戸棚を付けたり、ペンキを塗るのは一緒。 まぁ、「べたべたしすぎ」という人もいますが、はい、
彼は私のベストフレンドなんで、いつも一緒です。 従って、子供は一人だけ。 私たちの真ん中で笑ってくれています。
男だから得とか女だから損という感覚はあまりありませんねぇ。
反対に女性だから損だとか男性ばかりずるいという感覚に違和感すら感じます。
先人の女性のみなさんのおかげで女性だからという不自由さを感じずに生活しています。
夫も私のことを一人の人間として尊敬しなおかつ家庭を一緒に築くパートナーとして大切にしてくれます。
もちろん、私も彼を尊敬していますし人生のパートナーとして大切に思っています。
何時の時代でも一つの家庭を守る為には男女とも多くの犠牲を払ってきたのではないでしょうか?
女性の我慢や忍耐によるところも大きかったし、男性の家長としての重圧も女性にはわからないほど大きかったのではないでしょうか?
いい人間関係は損得勘定をしている間は築くことが出来ないように思います。
相手を尊重して思いやってお互い愛し合っているなら損だの得だのという感覚は生まれません。
私や家族のためにがんばっている夫を支えていく生活に違和感はありません。
反対に夫は私の仕事や立場を理解しいつでもバックアップしてくれています。
家事や育児は厳密に半々とか生活費も半々などという計算をお互いにしたことありません。
子供達も家族の一員として男の子も女の子も責任をもって役割を担っています。
折々に問題は起こりますがそれを夫婦二人で(いいえ、家族で)乗り越えてきたと思っています。
家庭を築くというのはもっと暖かいものがないと上手くいかないような気がします。
これからはむしろ堅苦しい男女共同参画などという言葉よりも思いやりというものの方がずっとずっと大切になっていくのではないですか?
愛情、尊敬、思いやりがなくては、もう家庭を守ることは出来ないと思います。
夫婦とは何かパートナーとは何かをまじめに考えると時代が来たのですね。