「平穏死」石飛幸三さんインタビュー全文(3)看取り行うホーム、まだ多くない
――とはいえ、1日でも長生きしてほしいと願うのは家族なら当然ではないですか。
石飛 胃ろうで長く生き延びたとして、その人は会話ができたか、楽しく過ごせたか。どれだけ意味のある延命になるのか、疑問です。「息をしているだけでいい」という家族の気持ちはよく分かりますが、自分が寂しいから頑張らせている面はないでしょうか。本人は、どうしたかったのでしょうか。
胃ろうで寝たきりの状態が続くと、最初のうちはよくホームを訪れていた家族も、次第に足が遠のいていきます。認知症の場合、すでに家族は何年も介護の地獄を味わっていますから、看取(みと)った時、ホッとした気持ちになる家族が多いのは事実です。
――その人の死が近いことは、どうやって見極めるのですか。
石飛 人の死期は、こちらが決めることではありません。決めようと思うのは傲慢です。ただ素直に自然の経過を見守ればいいのです。あるがままを尊重して受け止める。本人に生きる力があれば、自分で食べます。
――平穏死とは、どのようなものですか。
石飛 自分で食べなくなり、点滴も何もしなければ、やがてひたすら眠り続けて、体のよけいな水分がなくなっていきます。そして、きれいな顔になって、いつの間にか大往生。それこそが平穏死です。それなのに医師が我が身かわいさで、よけいな水分を与えたら、体の中がおぼれて「不穏死」になってしまいます。
――平穏死という考え方も、少しずつ広まってきたのではないですか。
石飛 全国で辻説法を続けているので、だいぶ影響はあったかなと思います。でも私の講演を聴いたからといって、明日から、その通りにできる訳ではありません。
私が勤務する芦花ホームでは看取りを行うのが当然になっており、入所者の8割を看取っています。そういうホームはまだ多くありません。
例えば、食べるのが困難になった入所者が肺炎で入院し、家族は「胃ろうはつけないでくれ」と言ったとします。主治医は「それもひとつの考え」と理解してくれるかもしれませんが、病院としては何の治療もしない患者を病院に置いておくわけにはいかないので、退院させます。
その時、患者はどこに行けばいいのか。うちのホームなら「ゆっくり看取りましょう」となりますが、多くのホームは「とんでもない」となります。何も治療しないで亡くなる人を見るのはホームの職員も怖いのです。でもホームが「ここは最期を看取るところです」と言えるようにならないと、今の状況はなかなか変わりません。(つづく)
(2011年7月2日 読売新聞)
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